第3回 水郷板倉編

群馬県板倉は、「鶴舞うカタチ」の群馬県のくちばしあたりに位置し、栃木県、 埼玉県と隣接する県境の町。
ここは利根川と渡良瀬川に挟まれた低湿地帯で、古くから多くの沼や湿地が広がる「水郷地帯」としても有名な町です。
板倉の歴史=水との闘い、といっても過言ではないほど、水の恩恵を受けてきた反面、洪水等水害に見舞われたここ板倉で、先人たちが残した水防の知恵である揚舟や水塚を私たちスタッフで見学してきました。
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揚舟とは水害時に人馬、物資の運搬用に使用していた舟です。
普段は母屋や納屋の軒先に揚げておいたため、揚舟(あげぶね)
と名付けられました。
治水対策が進み、使用する機会がなくなった現在では、古くから
の伝統を次代へ継承する板倉町の観光事業のひとつとして、
谷田川一周2キロ、約40分の揚舟ツアーが開催されています。
この日は春の揚舟初日のため、NHKをはじめ、ケーブルテレビ
やFMラジオ局の取材の方々もたくさんいらっしゃいました。
さて、揚船ツアーに参加した私たちにも、いよいよ順番がやって
来ました。救命胴衣を着用し、笠をかぶり乗船です。
初体験の私たちスタッフはちょっと不安。船に足を乗せると思い
のほか揺れたので大騒ぎでしたが、同乗した常連さんたち(毎年
初日に来ているそうです)は慣れたものでした。
舟の材質は杉の木。観光用の舟には水が入らない様、コーティ
ングしてあるそうです。
さぁ、いよいよ出発!
船頭さんが、竹ざお1本で舟を操ります。
船頭さんたちの平均年齢は60歳で、最年長の方は75歳の方
もいらっしゃるそうですが、私たちの乗った舟の船頭さんは、船
頭歴4年というの大学生のアルバイトの方でした。
風もなく、穏やかなお天気の中、船頭さんのわかりやすい説明
を聞きながら、ゆっくり景色を楽しみます。
中州は湿地帯になっており、ヨシキリなどたくさんの鳥のさえず
りが聞こえてきます。
周辺の植物には、水草のマコモやヨシが生い茂っていました。
マコモは、お盆の飾りとして使われ、ヨシの、男ヨシは茅葺き屋
根の材料に使われ、女ヨシはよしずに使われていたそうです。
川の水深は1mほどで、ナマズやコイが生息していて、板倉の
名物料理にもなっています。

ゆるゆると進む舟に揺られ、自然に身を委ね約40分。
もう降りる時間です。
「お金じゃこの景色は買えないよ」とは同乗した常連さんの言葉
です。秋にはまた違った景色が見られる事でしょう。
下船後、私たちを待っていたのは怒涛のインタビュー攻撃でした。
スタッフの一人はNHKのインタビューを受け、その映像がその日
の3時のニュースで流れたそうですが・・・・・
残念ながら私たちは見られませんでした。・・

揚舟ツアー情報(板倉町役場ホームページ)
http://www.town.itakura.gunma.jp
●春の運行(5~6月) ●秋の運行(9月~10月)
●土、日曜日、祝日のみ運行
●乗船料金:1,000円/人(小学生以下無料)
●谷田川周遊コース(約40分/2km)
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水塚とは、水害から生命・財産を守るための水防建築です。
1階は穀物などの貯蔵庫、 2階は災害時の居住空間となって
いる簡易的な避難小屋です。3~5m盛土をし、母屋より高く
造られています。
水と共に暮らしてきた独自の歴史と文化をしのばせる文化財
ですが、その数は年々取り壊され、揚舟同様減少しています。
さて、私たちは水塚の見学をさせていただくため、大変貴重な
文化財が残されている江田さんのお宅へ伺いました。
1947年カスリーン台風を最後に、以降大きな水害は起きてい
ないので、現在は物置として使用しているそうです。

建物の中を拝見するとまず、軒下の揚舟に目が留まります。
貯蔵庫となっている1階には米や麦の俵が保存されていまし
た。水に浸かっても食べられる麦を一番下段にし、米などは
その上段へ積むそうです。
なるほど、実体験に基づく生きた知恵なのでしょう。
感心しながら2階へ進むと、そこは広々とした居住空間となっていました。天井は張らず、屋根裏の骨組みがむき出しの状態で
すが、これは少しでも広い空間を得る為の工夫だそうです。窓は、 物の出し入れがし易い様に大きく作られています。
随所に工夫が施されている水塚。
板倉町できちんとした形のまま残っているのはここだけとの事。江田さん宅には小学生や大学生がたくさん見学に来るそうです。
お話を伺った江田のおばあちゃんは、隣町の埼玉県北川辺
町からお嫁にきたそうです。嫁いで来てからは、大きな水害は起こっていないそうですが、北
川辺町も大変水害に悩まされた地域だったと当時の事を話してくれました。
そんなおばあちゃんに是非お写真を!とお願いしたところ、
照れてお顔を隠してしまい、残念ながら撮影できませんでしたが、とてもかわいらしい方でした。
ご協力ありがとうございました。
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主に関東地方に点在する雷電神社の
総本宮がここ板倉町にあります。
主な御祭神は、天地に轟き、火と水の
大いなる働きを司る、火雷大神、大雷
大神、別雷大神の三柱です。
598年、聖徳太子が天の声を聞き、
伊奈良の沼に浮かぶ小島に祠(ほこ
ら)を設け、天の神を祀ったものとい
われています。

現在の社殿は、天保6年(1835年)の
造営である華麗な彫刻が見所の一つ。
左甚五郎10代目の名人彫物師である
石原常八による装飾は、北関東のこの
時代にしか見られないという特異な建築
で、群馬県指定重要文化財の指定を受
けています。
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なまずは板倉のシンボルでもあります。社務所にある「なま
ずさん」は、なでると地震を除けて、自信がつくといわれ親し
まれているそうです。
また、昔から川魚が豊富に獲れた板倉町では、「雷電さまに
お参りしたら、なまずを食べずに帰れない」といわれるほど、
なまず料理が名物です。
というわけで、私たちも風習にならい「なまずの天ぷら」を食
べてみました。
味は、覚悟していたほど特別なクセもなく、白身魚のようでした。
ナマズ、と言われなければ分かりません。
とても美味しくいただいてきました。



今回取材にあたり、たくさんの方々にご協力をいただきました。
電話での問い合わせに丁寧にお答えいただいた板倉町役場の遠藤さんは、親切にも、見学当日私たちを揚舟からはじまり水塚へ神社へと案内までしてくれました!ありがとうございます。
また、揚舟の船頭さん、水塚を見学させていただいた江田さん、美味しいお店やお土産を教えてくれた町民の方々・・・

今回の取材を通して、板倉町のみなさんの温かい心にふれる事が出来ました。
水と共存してきた板倉町・・・。治水事業の整った現在では、本来の目的で使用する事はなくなりましたが、この貴重な文化を、未来に残せるよう大切に継承していかなければならないと思いました。
2009年5月1日


